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結婚式その後 精神 最近読んだ本

結婚式その後

 

友人の結婚式も終わって日常に戻っています。

もう一週間以上経っているけど、それはそれは楽しい一日であった。

 

前日は謎の期待と緊張であまり眠れなかった。僕はこういうことが多い。式場はポートタワーのすぐそばのすごい豪華なやつでした、飯はフグがでました。僕は余興で弾き語りをした。新郎の会社の人がちょっと泣いていた。良い結婚式の思い出になってくれてたらいいな。

久しぶりに会う友人たちには一抹の不安があったけど、意外にもとても楽しく会話ができた。昔は苦手だった集団のノリとか、テキトウな話題の選定とかが、全然嫌じゃなくなっていて、帰る頃には「また会いたい、むしろ積極的に関わりたい」とまで思っていた自分に驚いた。彼らが大人になったのか、僕にも余裕ができたのか、ぎこちなさは確かにあったけど、自然体でいられたと思う。

というか昔の僕は、気に入らない価値観を見つけたらとにかく下に見ていたので、そのせいで自分で自分の首を絞めていた。息苦しかった。背伸びは良くないね。

 

精神

ちかごろ精神が良くなってきている。

今まではダメージを受けた時の気分の落ち込みがすごくて、すぐに辛くなっていたけど、愚直に毎日を積み重ねていくと精神が徐々に良くなっていくことを発見した。すごくないですか。ただ、心が摩耗してることに気づいてないだけだったらまずいので、適宜確認は必要です。僕の場合、このような「自分の精神とどう折り合いつけるか」というのは生きる上での大きなテーマになっているので、この調子でもっと頑張っていきたい。

そして、生活の基盤が固まりつつあるので、その土台をもっと強固にしつつ、音楽活動をやっていきたい、という気持ちも生まれた。僕は日々の生活が不安定だと、表現活動のやる気が持てない人間なんだとここ2年位で学んだ。PDCAでいうと、ずっとPPPPとかCCCCばかりやっていた。それどころかKKKK(糞糞糞糞)とか、KSNR(希死念慮)とか、ろくでもないサイクルを回していたように思う。最近はあまり回らなくなったのでよかった。

 

夏には生活がある程度落ち着くので、なんかしらを発表できたらいい。

 

最近読んだ本

意味不明なサザエさんみたいな3本立てですが、最近読んだ本です。

 

羆嵐 (新潮文庫)

羆嵐 (新潮文庫)

 

 それ町で歩鳥が「あんたら羆嵐読んだことないんかい!」と言っていて、読んだことなかったので読んだ。この夏北海道に行く予定なんだが不安になった。higmaは怖い。

 

 

水野仁輔 カレーの教科書

水野仁輔 カレーの教科書

 

 カレーの教科書です。料理本ってレシピが羅列してるだけのイメージだったけど、この本は違った。日本でカレーが定着していった歴史から、スパイス一つ一つの特徴、玉ねぎの切り方、炒め方の実験などカレーの全てが網羅されてるんじゃないかってほど、まさに教科書と言うべき本だった。時々、「隠し味の二次元マトリクス」とか、「カレーは数学であり科学」とか「素材を変数に見立て」とかパワーのある文章が出てくるのでそこにも引き込まれる。この本を読んで上野センタービルの地下でフェンネルクローブ、クミンなどをわざわざ買った。

 

 

すべてがFになる (講談社文庫)

すべてがFになる (講談社文庫)

 

 学生時代に友人宅で飲んでいた時、本棚にこの本を見つけた。僕と別の友人はふざけて「Fなる〜」とか、あらゆるものを指差して「Fや〜」とか、「F飲むわ〜」とか言って安酒を飲んでいた。そのことを思い出して気づいたけど僕は阿呆ですね。

 

最近ミステリーかSFしか読めない体になってるんで面白い本あったら教えてください。

 

 

 

 

 

 

友人の結婚式あれこれ

僕と同じ世界線に生きる皆さんなら、毎週のようにSNSに挙げられる結婚式の投稿にはもう飽きていますよね。

 

毎回「最高に幸せな結婚式〜!」だの「〇〇さん美しすぎた…」だの女子が言っておる。#こんな#風に#タグを#付けまくって#Happy Wedding#だの#言っておる。余興では下手くそなアカペラが披露されていて「感動!」とか言っておる、音はかなり外れている。なんなの、俺呼ばれてないんですけど。

 

「あ、あいつ結婚したんだ」ってFacebookやらInstagramで見るのは思ったより寂しい。別に呼ばれるほどの仲でもなかったけど、結婚式の写真を見ると知ってる顔がたくさんあって、この輪に自分は入っていないんだな、というのを再確認させられる。

そして、以前は他人の結婚ニュースにいちいち驚いていたのに、いつの間にかもうありふれたイベントになっていて、自分の加齢を思う。結婚式なんて大人がやることだと思っていたのになあ。

 

* * *

 

そんな僕も今週、友人の結婚式に行くことになった。夫婦どちらも大学時代からの友達で、今も交流のある二人である。結婚式。いざ自分が参加することになると、嬉しさはもちろんあるが、それにあたってめんどくさいこともあると知った。何しろ昔の友人達もたくさん来るだろうから、せめてまともな人間の感じで参加したい。入念な準備が必要だ。

 

お祝儀袋はどういうものがいいのか、結婚式の服装は、え、半袖はダメなんですか、夏なのに。ネクタイピンとかスカーフとかいるんですか?靴がボロボロなんですが。多分あいつも来るだろうな、あいつも、もしかしたらあいつらも...。久々に会う彼らとどんな感じでコミュニケーションとったら良いんだ、愛想笑い、楽しい会話、相槌、疲労、逃走経路、喫煙所。なんで二次会参加って言ってしまったんだ…。などと色々考える。

僕ですか?自意識の奴隷です。

 

なんか書いている間に自分に呆れてしまった。まあ適当でいいや。ダメだったら最悪二次会は途中で帰ろう。

 

披露宴ではありがたいことに余興を頼まれている。嬉しかったので、弾き語りをして二人の門出を祝いたいと思う。ライブの動画は#Happy Weddingとかタグ付けて「最高の結婚式!」つってSNSに投稿してやる。音は外れてなきゃ良いけど。

 

まっとうに生きたい

未だに、自分が「まっとうに生きてる」自信がない。

 

いきなり、まっとうってなんだって話なんですけど、僕の周りはそこそこ優秀というか、普通というか、人生のレールにうまいこと乗れている奴らばかりなので、彼らをみてると自分がそこにちゃんと乗れてないような気持ちになる。

 

僕は今まで、バンドやったりフリーターやったり会社員やったりと、1年半くらいふらふらしていた。うまくいかないこともあり、その間に「意外とダメじゃん、俺」ってなったのがその原因だと思う。

 

今は小学校で臨時任用講師やってるけど、講師だっていつ仕事がなくなるかわからないので、なんだかんだいってフリーターに毛が生えたもんです。まあ、だから今がんばれってことなんですが。大学入ったくらいから気づき始めたこの自信の喪失は意外と根が深くて、なかなかうまくがんばれないときもある。まさに今です(こんなテスト前に部屋の掃除をする、みたいな文を書いているくらいですからね)。

 

「頑張るときに頑張れなかったダメ人間」みたいな烙印を僕は自分に押してて、ことあるごとにそれを見返しているから、がんばるぞ→あっ俺はダメだみたいになって、またまっとうに生きられないと嘆く。その後また頑張ろうと思った矢先→烙印を発見→ダメ。あゝ負の連鎖。わかりやすい連鎖。ぷよぷよは縦に積む。

 

*** 

 

三年前、大学の卒業間際に、最後の授業でやることもなくなったのか教授が「これからの抱負を書き初めに書こう」なんて言い出した。

そこではまっとうに生きてる奴らが(そうでもない人もいたけど)いい感じにユーモアも交えてこれからの抱負を発表していて、すごく居心地が悪かった。ウケを狙って適当なことを発表できる空気でもなかったので、半紙に「真っ当」って書いた。その場しのぎの言い訳を言って、僕の番は終わった。

 

***

 

なぜかその時のことを未だに覚えていて、自信を失くすとよく思い返す。

ちゃんとレールに乗りたいなと思った時にはみんなもう次の駅についていて、乗り換えとかするやつもなかにはいる。まだまだ僕が自分で決めた「まっとうに生きる」レールに乗るまでの道のりは長いかもしれない。しかし、頑張っていきたい。いや、頑張っていきたい。今日は頑張っていきたいと言うためのエントリです。モンパチを聞こう。頑張ろう。

 

と、こうやって吐露することも「まっとうに生きること」に繋がったらいいなと思った次第。

 

 

Instagramで料理自慢するやつに勝ちたい

ひとり暮らしを始めてから「別人格か?」と思うほど料理にハマっている。

今までろくに家事もできなかったのに、自分一人になると急に生活の充実を図るようになった。現金なものである。そんなに凝ったものは作れないが、食器洗いが全く苦でないのでほぼ毎日キッチンに立っていると家庭料理なら大体は作れるようになった。そんな生活をするとそのうち、食器を収集し始めたり、図書館で料理本を借りるようになったり、料理ブログも良記事を探して読むようになったりするので、本当に別人格を疑うほどの有様だ。

今ではあまり自炊の時間を取れなくなったので、なるべく控えているんだが、2月に低温調理機Anovaやハンドブレンダーを導入してしまったので、ちょくちょく肉などをやっている。落ち着いたらバーミキュラ無水鍋か、藤次郎の包丁を買おうと思っている。このへんはギターの足元と同じで、機材にこだわりだすと本当に沼って感がある。

 

ところで、Instagramとかいう、うんこみたいなSNSがある。僕は影でUnstagramと呼んでいる。うんこなので。最近、そのUnstagramで料理自慢するやつが増えた。ひねくれているのでそう見えるだけかもしれない。

そういう自慢(にしか見えない)をするのは主に同世代の友人たちで、だいたいが会社員か公務員をやっている。今では学生の頃に打ち込んでたサークルとか部活とか、綺麗サッパリなくなってしまったので、彼らは手持ち無沙汰な休日を埋めようと料理をしては、せっせと写真を撮ってカレーだのアクア・パッツァだのオムライスだのアップしている。今日言いたいのはこの写真についてである。

 

以前はなんとも思っていなかった料理の投稿が、自炊するようになった今では、見るたびに「やべえ」という焦りと、「負けたくない」という対抗心が湧くようになってしまった。 彼らの料理写真を見ると、焦りと対抗心から、同じものを研究し作ろうとするようになってしまった。東にカレーを作るやつあれば、水野仁輔の本を読んで研究し、西に中華を作るやつあれば、上野のアメ横センタービルでピーシェン豆板醤を手に入れる。そんな感じだ。そういう人に私はなりたい、わけではなかったはずなんだが。

今の僕にとっては「自由に料理を作れること」は生活の豊かさの象徴みたいになっている。だから、誰かの豊かさを見せられると、悔しいと思ってしまうのだ。動機は不純だが、料理をするとかなり自己肯定感が上がるので、これからも続けていくつもりだ。本当はおすすめの料理本や参考にしているレシピ記事、好きな食器についても書こうと思っていたのだが、長くなるのと、誰かに取られると悔しいのでまたの機会にする。

 

余裕ができたら僕もUnstagramに堂々と写真を上げるので、その時は料理自慢と取ってもらって構わない。

www.instagram.com

「君に届け」を初めて読んだ25歳男性

僕の彼女が読んでいたこともあり、「君に届け」が有名な少女漫画で、甘酸っぱい恋愛ものであることはすでに知っていた。おそらく生クリームマシマシのパフェみたいな漫画だ。どう考えてももう自分の年齢とは合ってない。それはわかっていたが、読んでみると新鮮な気持ちが蘇るかもしれないと思い手に取った。

 

地味な爽子が、風早くんという爽やかな男との恋を通じて成長していく物語。少女漫画にありがちな暗さが全くなくて、全体的に明るい雰囲気があって良い。しかし、この漫画はとにかく全てがじれったい。ふとした表情にドキドキ、ちょっとした会話にドキドキ、席替えや学校行事にドキドキ。爽子はそんな毎日を経て、風早への気持ちが恋だと気づくのに4、5巻ほど消費する。二人はそこからクリスマス、バレンタインとイベントごとに毎回ドキドキし、毎回すれ違う。近づいたり遠ざかったり、誤解、不安や葛藤、抑えられない気持ち…。そんな感じで物語は遅々として進む。

 

爽子に友だちができたり、クラスに馴染んだりして行く様子を見ると頑張れと応援したくなるし、一見悩みのなさそうに見える風早くんにも、実は爽子への想いを伝えるか悩んでいて、そこには惹かれるんだが、彼らはずっと恋に浮かれている。「今日の挨拶のとき、ちゃんと笑えてたかな…」とか「嫌われたくないけど、この気持ちを言葉にできない…」とか。そのうち友人たちの恋模様も始まりだした。これも同じようなペースで心理描写全マシ甘めだ。はよせい、と思う。

 

君に届け」というタイトルから、僕は最初「付き合って完結」なんだと思っていた。なので10巻くらいでやっと告白して付き合った時は、よかったよかった、めでたしと思っていた。しかしなんと、あのうねうねとじれったい恋のすれ違いは付き合ってからも続くのだった。むしろこれからが本領発揮であった。嘘でしょ。二人は付き合ってからも「自然に手をつなげるかな…」や「修学旅行で一緒に回れるかな…」とかすれ違いを延々やっている。

 

15巻で限界が来た。もう勝手にやっててくれ。でもどうなったか気にはなるので最新巻だけ読んでやったら、当たり前だけど僕の知らないうちに二人の親密度がめちゃめちゃ上がっていてゲームで裏技使ってレベル100にしたときみたいな気分になった。僕が高校生の恋愛模様をじっくり味わうには、流石に大人になりすぎていた。最初からわかっていたけど、そもそも生クリームは好きではなかった。