許容もなく慈悲もなく

Keita Ito/イワシミズの文章です

時にはテレビの話を

我が下宿にはテレビがない。

 

今思えばよく生きてこれたなって感じだが、千葉に引っ越した時は文無しだったので、家には冷蔵庫や洗濯機も何もなかった。労働をしているとお金がもらえるので、それから随時生活に必要な家電を揃えていった。炊飯器とか電子レンジとかケトルはもらいもんで済ませたのでなんとかなって、こたつも洗濯機ももらった。もらいもんばかりであった。そして現在、生活に必要なものはだいたい揃ったので、ここからテレビの話である。

 

これまでは生活家電すらなかったので、日々の娯楽であるテレビはつい後回しになっていた。テレビはなくても新聞は職場で読めるし、普段からネットニュースやTwitterなどで情報収集していたので、生活していて困ることはなかった。むしろ、くだらないドラマやバラエティ番組などを見なくなり、無駄な時間がなくなったように感じていた。朝は6時に目覚めるようになり、テキパキと働き、勉強もはかどり、精神状態もどんどんポジティブになっていき、筋肉がつき、それに…。いや、嘘である。正直に言うと僕は「テレビ見てない自慢」がしたかったのだ。芸能ニュースの話題になった時、「最近テレビ見てないからわかんねえわ〜」と一段階上の次元にいるみたいな発言がしたかったのだ。それは世にもくだらないマウンティングの一種であった。

 

テレビ見てない自慢をする人間にもいろいろなタイプがある。僕の場合は「幼少期テレビ好きだった反動」タイプである。僕は幼い頃からよくテレビを見ていて、とにかくインドア派だった。こういう人間はだいたい中高生の頃にインターネットを知って大きくねじ曲がってしまうので、くだらないテレビを見てるやつを馬鹿にするようになる。そして、自分の中でいつの間にか「テレビ好きな人間=マジョリティ(≒馬鹿)」みたいな歪みきった方程式が立式されていることに気づく。からのテレビ見てない自慢である。どっちが馬鹿かわかりませんね。

 

ここまでテレビの話をしてきたのには理由がある。実は最近テレビが欲しくなってきた。今では暇な時間、ブラウザで動画サイトなどを見て過ごしているのだが、どうも疲れてきた。テレビと違ってインターネットでは、自分が取捨選択をして毎回毎回見たい情報を探さなきゃならない。それに疲れてきたのだ。テレビはたとえクソよりくだらなくても、スイッチをつけるだけで何かしらがやっている。余暇の時間では、本当にどうでもいいような時間が意外と大事で、それにはどうでもいいテレビ番組がよく合うのだ。ザッピングするだけでなんかしらの映像情報が入ってくる。いいなと思う。俺もねほりんはほりん?とか見たいのである、金曜ロードショーとか見たいのである、12歳とか見たいのである。実は「逃げ恥」はネット放送で見ている。でもリアルタイムでは見れないので数時間くらい遅れてから見ている。なので、こないだ俺が見る前(4話くらいか?)にTwitterで「ヒラマサがみくりにキスした!」みたいな感想を呟いてたやつは一発ずつ殴ってやるからここに一列に並べ。

 

こういう人もいるので気を付けてください。以上である。