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許容もなく慈悲もなく

暮らし、音楽、教育関係

Instagramで料理自慢するやつに勝ちたい

ひとり暮らしを始めてから「別人格か?」と思うほど料理にハマっている。

今までろくに家事もできなかったのに、自分一人になると急に生活の充実を図るようになった。現金なものである。そんなに凝ったものは作れないが、食器洗いが全く苦でないのでほぼ毎日キッチンに立っていると家庭料理なら大体は作れるようになった。そんな生活をするとそのうち、食器を収集し始めたり、図書館で料理本を借りるようになったり、料理ブログも良記事を探して読むようになったりするので、本当に別人格を疑うほどの有様だ。

今ではあまり自炊の時間を取れなくなったので、なるべく控えているんだが、2月に低温調理機Anovaやハンドブレンダーを導入してしまったので、ちょくちょく肉などをやっている。落ち着いたらバーミキュラ無水鍋か、藤次郎の包丁を買おうと思っている。このへんはギターの足元と同じで、機材にこだわりだすと本当に沼って感がある。

 

ところで、Instagramとかいう、うんこみたいなSNSがある。僕は影でUnstagramと呼んでいる。うんこなので。最近、そのUnstagramで料理自慢するやつが増えた。ひねくれているのでそう見えるだけかもしれない。

そういう自慢(にしか見えない)をするのは主に同世代の友人たちで、だいたいが会社員か公務員をやっている。今では学生の頃に打ち込んでたサークルとか部活とか、綺麗サッパリなくなってしまったので、彼らは手持ち無沙汰な休日を埋めようと料理をしては、せっせと写真を撮ってカレーだのアクア・パッツァだのオムライスだのアップしている。今日言いたいのはこの写真についてである。

 

以前はなんとも思っていなかった料理の投稿が、自炊するようになった今では、見るたびに「やべえ」という焦りと、「負けたくない」という対抗心が湧くようになってしまった。 彼らの料理写真を見ると、焦りと対抗心から、同じものを研究し作ろうとするようになってしまった。東にカレーを作るやつあれば、水野仁輔の本を読んで研究し、西に中華を作るやつあれば、上野のアメ横センタービルでピーシェン豆板醤を手に入れる。そんな感じだ。そういう人に私はなりたい、わけではなかったはずなんだが。

今の僕にとっては「自由に料理を作れること」は生活の豊かさの象徴みたいになっている。だから、誰かの豊かさを見せられると、悔しいと思ってしまうのだ。動機は不純だが、料理をするとかなり自己肯定感が上がるので、これからも続けていくつもりだ。本当はおすすめの料理本や参考にしているレシピ記事、好きな食器についても書こうと思っていたのだが、長くなるのと、誰かに取られると悔しいのでまたの機会にする。

 

余裕ができたら僕もUnstagramに堂々と写真を上げるので、その時は料理自慢と取ってもらって構わない。

www.instagram.com