許容もなく慈悲もなく

Keita Ito/イワシミズの文章です

Audibleを使ってみて

最近、Audlbleを使っている。

Amazonが提供しているオーディオブックのサービスである。

娘が産まれ、育休期間に入ってから、図書館をハックすることにハマってしまい読書ペースが爆増した。これまでもゆるく小説などを読んでいたが、今では多少アスリートじみていて、可処分時間の半分近くを注ぎ込む量となってしまっている。継続的に本が読みたいと以前から思っていたので、育休が終わった今でも習慣化できていることは、とても嬉しく思う。そして、インプットが増えると、アウトプットしたい気持ちも湧くものだ。

 Audibleをはじめたことで幾つかの発見があったので、紹介してみたいと思う。個人的にはかなりオススメのサービスなので、この機会にやってみてくれたら嬉しい。

 

■良かった点

 1.「聴く読書」体験

 俺は紙の本原理主義なところがあって、電子で読むより紙で読んだほうが情報が入ってくると思い込んでいる節がある。なので、Audibleを始める前は、「耳で聞いて、今までと同じような読書体験が得られるか?」という懸念があった。だが、実際に始めてみると、驚くほどにスムーズに物語の情景が浮かんでくる。最初は慣れも必要だし、そもそもある程度読書経験がないとピンとこないところもあるかと思うが、イメージのしやすさは、紙での読書とほとんど遜色がない。遜色がないどころかむしろ、肉声により物語に生き生きとしたドラマが付与されたようにも感じられる。これは子どもの頃に経験した、「読み聞かせ」の体験と同じなのだ、と気づいた。

 

 

 これとかは完全に脳内で映画化されていた。

 

 2.聞き逃しても大丈夫

 紙の本なら、物語の途中でも電子より早く気に入ったページや、思い出したいページに戻ることができるが、オーディオブックでは戻ることが少々煩雑になる。紙本原理主義者としてはそういう瑣末な心配事があったのだが、実際に瑣末なことだった。大筋が理解できていれば、多少の聞き逃しは許容できた。俺たちはそもそも紙の本でも一字一句しっかり読んでるわけではない。なんとなくの感じでパラパラと読み飛ばしても大筋は掴めているように、多少聞き逃したところで、物語の体験にさしたる問題はなかったのだった。そして、本当に大事な言葉なら、小説内で何度も出てくる。もちろん、大事だと思ったところは30秒ごとに早戻しすることが可能なので、聞き逃したら戻せばいい。しかし、最近はあまりそれもしなくなった。

 

 3.バリアフリーな読書

 書籍を手に持ち、ページを捲る。そんな読書の姿勢を維持できることは、自分にとってこれまで当たり前のことだった。『ハンチバック』を読んでから、「読書バリアフリー」という概念を知ったが、オーディオブックはその解決策の一つだ。オーディオブックなら、本を開かなくていい。耳と、処理する脳があればいい。他の誰かが勝手にページを進めてくれる、というのはとても楽だと知った。手も目も疲れることがない。特に、紙の本だと時間がかかるような知的読みものに手をつける際には、ナレーターが読み進めてくれるのはとても助かる。

 

 4.ナレーターの声によるバフ

 たまにだが、ナレーターの声が小説世界の雰囲気に完璧にマッチしている作品があり、そういう時は没入感も上がる。『虐殺器官』を再読(聴?)した時は声がカッコ良すぎてそっちにテンションがあがってしまった。ナレーターの方もキャラクターごとに声色を変えてくれていて、聞き分けしやすい作品が多いように思う。ちなみにだが、試しに『ハーモニー』の方も聞いてみたが、小説内の演出として使われるHTMLタグの部分もしっかり音読してくれていて笑ってしまった。こちらは全く向いてないなと思った。

 

■悪いというほどではないが…

 1.作品がまだまだ少ない

 小説は各ジャンルごとに、新旧問わず幾つかは揃っているなと感じるが、特に「ビジネス・キャリア」のカテゴリはもう少し充実して欲しいと思う。

 

 

 

この辺のタイトルは網羅されていてどれも面白いが、俺はすでに紙の本で読了済みだったので、他にも興味深いものが見つかればいいなと思う。ラノベと、芸能人などの有名人にまつわる書籍、ポッドキャストなども割とあるが、俺はほぼ読まない。あと村上春樹がやたらと充実している。

 

 2.読み切るまでに時間がかかる

 小説では特に、勢いづくとその日のうちに読み切ってしまうこともあると思うが、オーディオブックではそういったことは難しい。いつも定速での進行となってしまうためである。2倍・3倍速で再生することができるため、初めに予想していた程、読了までの時間はかからないが、もどかしさはある。最近はこのペースにも慣れてきたので、ゆっくり楽しむか、と「聴く読書」モードに切り替えているが、ハマった作品に出会うと「これ紙で読んでたら一瞬だっただろうな」と過ぎた時間を思わないでもない。

 

 3.ナレーターの声によるデバフ

 長い長い朗読をほとんど一人でこなしている語り手の方には申し訳ないのだが、本当に時々だが、あんまり合ってないなと思う作品もある。

 この作品、内容は熱い医療ドラマで面白かったのだが、ナレーターの声が少しくぐもっていたのが玉に瑕だった。後でレビューをのぞいてみると、作品の感想ではなく、ナレーターの声についての賛否のみがなされていて、声優の技量によって読書体験そのものが左右されるため、仕方ない面はあるが、オーディオブックならではの価値基準だなと感じたのと同時に、「小説の良し悪しをナレーターの声で決めるの違うんじゃないか」と、俺の中の原理主義者が小言を言っていた。

 

■終わりに

 ある葛藤がある。オーディオブックを聞く時間と、音楽を聴く時間が、完全に被ってしまっている。俺はそれなりに音楽も好きで、新譜を漁りたい気持ちも湧いているのだが、Audibleを起動してしまうと、Spotifyが聞けない。逆に、音楽を聴く時は、小説を読み進められないというジレンマを抱えるようになった。しかし、二つを同時に行うことはできない。1日は24時間しかないし、一人の時間はもっと短い。どちらかを選ばなくてはならない。Audibleはお得、というほど安いサービスでもないため、たくさん読もうと貪るように聴く読書に取り組んでいるうちに、そもそもサブスクサービスに対しての姿勢とはこうあるべきなんじゃないかと思い始めてきた。漫然と登録していていいサブスクなどないのではないか。

 現代では、魑魅魍魎のように寄ってたかって自分の可処分時間を可能な限り奪おうと、あらゆるサービスが存在している。主体性を明け渡して、なんとなくの興味であれこれと手を出しても、利用できる自分の時間は限られている。そんなわけで最近は、何かをして過ごす時間は、他の何かを犠牲にしているのだという意識を強く持つようになった。